今月の漫画は、イエスの例え話の一つをSFバージョンで描いたもので、このストーリーは「放蕩息子」という題名で知られています。しかしその本当の主人公は息子ではなく、父親です。タイミング良いことに、父の日が近づいていますね。このストーリーは、天におられる父としての神様がどのような方かを描いています。

神が父と呼ばれると聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべますか?

日本の古いことわざには、子供が一番怖がるもの四つを順番に並べたものとして「地震・雷・火事・親父」という言葉があります。もし、父親と良い関係を持ってこなかった人には、父親が神として描かれるのは、居心地の悪いものでしょう。父親を恐れてきた人も父親を全く知らない人もいるでしょう。父の日はあなたにとって、ハッピーな日ではないかもしれません。

ですが、聖書が神を私たちの父と呼ぶ時、それは、愛情深く、与え、赦す父の姿を表しています。地球上で最も優れた父親よりも、神はずっと愛情深く善良な父なのです。

この放蕩息子の例え話では、弟息子は父親が死ぬまで待てずに、今すぐに相続財産を欲しいと願います。本質的な意味では、この息子は既に死んだかのように父を扱っているのです。しかし、この父は息子が願うものを与えます。自分を死んだかのように扱っても、与えた相続財産を放浪生活に費やしても、息子が這いつくばって家に戻るのを、この父親は両手を広げて待っているのです。

神様とは、そういう方なのです。

このことは、イエス・キリストの中で最もクリアに見ることができます。イエスの人生とイエスの教えは、神様がどういうお方なのかということを、最も明確に表しているのです。そして私たちがこのイエス様を知るようになれば、この父親の愛を理解し経験することができます。この放蕩息子のように、どれほど滅茶苦茶な人生を送ってきたとしても、父なる神様が両腕を広げて私たちを待ってくれていることが分かるようになるのです

ですから、地上の父親と良い関係を築くことは良いことですが、もし天におられる父を知り愛することができるなら、それはもっと素晴らしいことなのです。

そうすれば、父の日は私たちにとって全く新しい意味を持つようになるでしょう。

2023 06 prodigal blog 2