気がついたかもしれませんが、Waypoints シーズン2の終盤では、ある二つの繋がっているストーリー『ある父の絶望』『ある女の絶望』を掲載しました。この二つの漫画はどちらも、聖書の中にある一つのストーリーに基づいているため、互いに重なり合っているところがあります。一つのストーリーを、二人の異なる視点から物語ったのです。(聖書のオリジナルストーリー(マルコの福音書5:21-43)を自分で読みたい方はこちらから)

このオリジナルストーリーでは、イエスはヤイロの娘を癒すため、ヤイロの家へと向かう途上にいます。イエスが群衆の中を進んでいく時、病に苦しむ女が後ろからイエスに近づき、癒しを求めてイエスに手を伸ばしました。

絶望的な女-1

この箇所は、その女が12年もの長期に渡って出血を引き起こす病気に苦しんできた、と私たちに教えています。彼女はお金を使い果たしてしまってもなお、苦しんでいました。そして、当時の文化と時代において、彼女はのけ者とされていたことでしょう。人々は法律によって血に触れることが禁じられていたのです。

ですから、彼女は病気であり、貧しくもあり、孤独でもあったのです。彼女は癒しを必死で求めていました。イエスに手を伸ばした時に、彼女はついにそれを見つけたのです。

ですが、彼女のストーリーはそこで終わりません。興味深いことが次に起こります。。。

イエスは立ち止まったのです。

絶望的な女-2

なぜでしょう?イエスが立ち止まる必要はありませんよね?イエスは急いでいましたし、女はすでに癒されたのです。イエスはただ進み続けることもできました。それをヤイロは望んでいたに違いありません。

しかし、イエスにとっては、その一人の女性はただの群衆の一部なだけではなかったのです。

立ち止まることによって、イエスは彼女が大切な存在であることを示しました。長年の孤立を経験した彼女には、身体的な癒しだけではなく、人からの受容も必要だったのです。

そしてイエスは彼女を受け入れました。イエスの目には、彼女はのけ者なんかではなかったのです。イエスは彼女を個人的に気にかけ、「娘よ」と呼んでさえくれました。

現代の社会において、孤立を感じることは容易いことです。人に囲まれていても孤独を感じることがあります。あなたが自分自身をどれほど小さなものだとか、取るに足りない者だと感じていても、あなたの存在は大切です。あなたは群衆の中にいる、ただのもう一人、ではありません。私たち一人一人がとても大切な存在で、価値があって、愛されているということをイエスは私たちに示しているのです。

ある聖書箇所にはこうあります:

「 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 (ヨハネ3:16)

あなたは愛されています。それを信じますか?

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