『パンがなくても』というWaypoints漫画には、マルタという名前の女性が出てきます。彼女は、あれもこれもしないといけない!と振り回されています。
なぜ、マルタはそんなにストレスを感じているのでしょうか?
マルタは「期待」というものにトラップされていました。
つまり、女性としても、おもてなし役としても、社会や文化が彼女に期待することや、こうあるべきと考えられること、客が期待すること、イエスが望むはずとマルタが考えていたこと、こういう期待にトラップされていたのです。マルタは間違いなく、自分自身に大きな期待を持っていました。そして妹のマリアが自分と同じように感じていない様子だ、ということにもイライラしていました。
あなたはマルタに共感できますか?
現代の日本の社会には、日本の決まり事がありますよね?もちろん、規則や期待は良いものであるかもしれません。規則や期待のおかげで、私たちは他人とうまく付き合い、社会として機能します。ですが、規則や期待が、行き過ぎ、になる時もあります。現代の多くの人は、家族や職場、社会から自分に持たれる期待にプレッシャーを感じています。そして、期待に応えられないときには恥を感じます。
時には、もちろん、自分自身に対して持つ期待が、問題となります。私たちは、意味や価値、そして私たちが何をするかにアイデンティティーを見つけようとする傾向があります。
これではプレッシャーを強めるだけで、失敗した時には、自分の責任だと感じてしまいます。
でも、イエス様はもっと良い道を与えてくれています。
前回のブログ記事でお話ししたように、このストーリーの中でイエスはマリアの味方をしました!
イエス様はマルタに優しくこう言っています:
「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。 しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」
マルタはこのストーリーの中で、何も悪い事はしませんでした。彼女は実際には、イエス様に対して正しいことをしようとしていたのです。でも、イエス様が私たちに望んでいることは、イエス様のために私たちができる事よりも、大きなことなのです。
イエスがここで言っている「一つだけ」とは、イエスの弟子であること、です。
イエス様は他の箇所(マタイ11:28)でこう言っています:
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
イエス様は、あなたに休みを差し出しています。
でも、これにはただ仕事から休むこと以上の意味があります。現実的に言うなら、やるべきことはまだ、たくさんあります。でも、イエス様は新しい人生をすすめています。それは、全ての人に開かれている人生です。何かを成し遂げることへのプレッシャーから私たちを解放する人生です。
マルタは振り回されていました。マリアは「一つ」を、イエス様に従うことを、選びました。
そして、イエス様に従うことで、他の全てがあるべき場所におさまるのです。
イエス様に従うことは、私たちを社会的なプレッシャーから解放し、自分自身に対して持ってきた期待についての見方を変えます。もちろん、それでも私たちには責任がありますが、どれだけ上手くやるか、ということに自分の価値や意味を持とうとはしません。
代わりに、イエス様を通して、神様に受け入れられていることを信じて歩みます。
マルタは振り回されていました。マリアは一つのことを選びました。