私たちは様々な願いを持って生きています。

悩んでいる友人を励ましたいとか、家族の病気が治るようにとか、それは周りの人のための願いかもしれません。

また、自分自身についての願いとして、この夏は⚪︎⚪︎へ旅行をしたいというような、軽めで短期的な願いもあれば、夢が叶うようにとか、努力が報われて出世したしたいだとか、深刻だったり長期的な願いもあるでしょう。一方、後から振り返ってみて、あの願いが叶わなくて良かった、あの時は願っていることの意味をちゃんと分かっていなかった、そんな経験もあるのではないでしょうか?

『母の願い』に登場するヤコブとヨハネの母は、息子を溺愛するいわゆるマザコンの母として描かれています。きっと息子たちが幼い頃から、息子たちの成功を願って労力を注いできたことでしょう。そしてこの漫画の終盤、息子たちの「師」であるイエスの元へと贈り物を持っていって平伏し、「イエスが王として国を治める時に、息子たちを側近として引き上げてやってくれ」と申し出ます。息子たちが、いわゆる「偉い人」になることを願っているのです。

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必死に願う母親にイエスは「あなたは何を願っているのか分かっていない」と答えます。また、息子のヤコブとヨハネに「わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか?」と問いかけ、彼らは「できます」と答えるのですが、彼らはこの会話の意味も理解していませんでした。この杯を飲むとは、苦しみを受けることを意味していたのです。

母親の申し出に対して、同じく「偉い人」になりたいと願う他の弟子達との間で怒りが飛び交いました。「願っているものを得る権利が自分にはある」、と願いが欲望に変わっていくと、その願いが誰かに邪魔されそうになるならば、怒りの源にもなります。また、不安や恐れがその願いがあるゆえに湧いてくることもあります。願いの意味を自分自身でよく理解していない場合であっても、そんな不自由さを私達人間は経験するのです。

イエスはそんな彼らをこう招きます。「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。」と。この漫画では、母親がこの招きに応答することを通して、ある種の解放を受け取り、前に進んでいく姿を描いています。

イエスというお方は、あなたが今日持っている願いにも関心を持ち、あなたが感じている不自由さから救い出したいとも願って、あなたをこう招いています。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:7)

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