今月のWaypointsの漫画「井戸端で」は、文化の違いを超えた出逢いを主題としています。

世界中の多くの人々が文化の違いによって分断される時代に、私達は生きています。お互いから距離を取るために役立てばまだ良いかもしれませんが、最悪の場合には文化的な違いは差別や暴力にさえつながります。

しかしもちろん、これは何も新しいことではありません。例えば、私達の漫画ストーリーを読んでお気づきかもしれませんが、イエスの生きた時代、ユダヤ人とサマリア人の関係は良くありませんでした。

しかし、何故なのでしょう?

この二つの民族間における敵対関係を同胞間抗争と比較する人もいるでしょう。ユダヤ人とサマリア人は同じルーツを持ち多くの共通点を持っていますが、時間の経過とともに人種的、政治的かつ宗教的な違いが彼らを分断しました。イエスの時代までの何世紀もの間、この二つの民族間の敵対関係は続いていました。

サマリア人の先祖は完全に明確にされていませんが、他民族との結婚を通して他民族から影響を受けてきた北イスラエルのユダヤ人が先祖だと、一般的には考えられています。サマリア人の宗教的な信念の多くは南ユダのユダヤ人と共通していますが、ユダヤ人の聖典の全体ではなく、その一部のみを聖典であるとサマリア人は考えていました。もちろんサマリア人もユダヤ人も両方が、自分たちが正しいと信じていました。こうした違いは彼らの歴史にわたるいくつかの紛争事件と合わせて、イエスの時代までユダヤ人とサマリア人のほとんどがお互いに避けあっていたことを意味しています。

けれども、イエスは違いました。

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一度ならず何度も、イエスは同胞のユダヤ人の多くが避けるサマリアの領土を通りました。イエスの弟子等が、自分たちを拒絶したサマリア人を怒り狂って非難した時、イエスは赦しと善意を示しました。(Waypointsの「雷ブラザーズ」はこれを漫画で表しています。)

イエスは頻繁に、要点を教えるために物語を語りました。ある話の中でイエスはサマリア人を、他者に愛を示す良い模範として用いました。その話から、イエスの同胞であるユダヤ人にとっては矛盾した言葉の組み合わせである「良いサマリア人」という表現が生まれました。

そして、「井戸端で」のストーリーの中では、サマリア人の女性と彼女の村に対して、イエスが優しさと受容を示すのを見ます。イエスとこの女性の間での会話の特徴は、境界を打ち破るというところにあります。イエスの時代と文化においては、夫婦でも家族でもない1人の男性と1人の女性が、イエスとこの女性がしたように二人だけで会話をすることは、タブー視されていました。彼女の過去と評判を聞いたことがある人にとっては、その会話はさらに不適切なものとされたでしょう。そして勿論、ユダヤ人がサマリア人に話しかけること、ましてやサマリア人と飲食をともにするなどということはタブー視されていたでしょう。

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しかし、イエスはこうしたタブー視されることを全て行い、そこにあるどの境界も打ち破りました。さらに、井戸でこの女性への尊敬と受容を示したのです。

イエスを通して、私達に対する神の愛を見ることができます。私達の誰もが、です。

あなたの人種や文化的な背景がどうであれ、イエスはあなたを愛しています。あなたがこれまでどれほど失敗してきたのだとしても、イエスはあなたを赦してくれます。他の人があなたのことをどう思おうが、イエスはあなたを受け入れてくれます。

問題は、あなたがどう応答するのか?です。この女性は井戸で神の愛を受け取りました。そして神の愛が彼女の人生を変えました。彼女の村の人達も同様に神の愛によって変えられました。

あなたはどうでしょうか?

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