「何を求めていますか?」は二人の盲人の男に関する聖書(マタイ20:29-34)に描かれたストーリーに基づいています。約2000年前のイエス様の時代には、目が見えないということは今以上に大変なことでした。この漫画は二人の盲人の男が道端に座っている場面からスタートします。歴史的な背景を考えると、彼らは貧しくて物乞いしていた可能性は十分にあったので、この想像を漫画のセッティングとして採用しました。
この二人の盲人がイエス様に向かって叫んだ時、イエス様は彼らに気付き、答えてくれました。そしてこの話をよく見てみるならば、私たちも必要な時にどうやって助けを見つけられるのかを、この話から学ぶことができると思います。
二人の盲人は、このようにイエス様に近づきました…
1. 彼らはイエス様が誰であるかをを認めました。
「主よ。ダビデの子よ。私たちをあわれんでください。」(マタイ20:30-31)
何らかの方法で彼らはイエス様がただのよい先生ではなく、それ以上の人であることを知っていました。彼らは、イエス様を「ダビデの子」と呼びました。ダビデの子とは、救い主、つまりユダヤの教えで、私たちを罪から救うために来られると約束されていた方を意味する言葉です。そしてその救い主というのが、新約聖書が宣言しているイエス・キリストのことなのです。
彼らはまたイエス様を「主」と呼びました。これは、ユダヤ人にとって、ほとんど「神様」と呼んでいるのと同じです。主=神様であるということ、これもまた聖書が宣言していることです。
2. 彼らはあわれみを乞い願いました。
「主よ。ダビデの子よ。私たちをあわれんでください。」(マタイ20:30-31)
彼らは、自分たちは助けてもらって当然、というような高慢な気持ちでイエス様に近づいたわけではありませんでした。彼らは謙虚な気持ちでイエス様のところに行きました。彼らは自分たちの切なる願いをイエス様のところに持っていきました。
3. 彼らは他の人々にどう言われるかやどう思うわれるかを気にしませんでした。
「そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、『主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。』と叫びたてた。」(マタイ20:31)
私たちはだれかに助けを求めようとするとき、周りの人が自分のことをどう思うかを心配して恐れます。また多くの人たちは、もしイエス様に従うとを決めたら、家族や友だちにヘンな目で見られるのではないかと心配します。イエス様のことを自分で学び始めようとするだけでも、同様の心配をします。しかし、ここで出てくる二人の盲人はこうした心配をすっかり忘れて、ともかくイエス様に助けてもらうために近づきたいと思ったのです。
イエス様はこの男の人たちにとっても重要な質問をしました。そしてイエス様は今日、私たち一人一人にも同じ質問をしているのです…
「あなたはわたしに何をしてほしいのですか?」
イエス様はすでに、あなたを助けたくて、力になりたくて、そしてあなたの罪を赦してあなたの人生を変えたいと願って、あなたを待ってくれています。だから、もしあなたが助けが必要なとき、この質問を思い出してください。「わたしに何をしてほしいのですか?」