漫画「一人じゃない」の元となっている聖書の内容に注目した3部構成のブログシリーズ・パート2として、今回は権威について書きたいと思います。パート1ではイエスが私たちの本当のニーズを知っているということを見てきました。次にイエスが私たちのニーズを満たせるのは何故か、ということを見ていきましょう。簡単に言えば、イエスはその権威を持っているのです。

イエスが中風の男に赦しを与えた時、それを嫌がる人達もその場にいました。聖書にはこうあります。「ところが、律法学者が何人かそこに座っていて、心の中であれこれと考えた。『この人は、なぜこのようなことを言うのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。』」(マルコの福音書2:6-7)

この「律法学者」はユダヤ教の宗教指導者のことで、罪についてもその赦しの必要性についても全て分かっていました。イエスがその男の罪を認めたことが彼らにとって問題だったのではありません。イエスが罪の赦しを与えたことが問題でした。罪を赦せるのは神だけだ!と。

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イエスが罪を赦したことが律法学者にとってどのぐらい奇妙だったかを理解するために、ちょっと想像してみてください。私が刑務所に行って各部屋を訪れ、自分が赦したい人に恩赦を与えて回ることを。それはおかしな話ですよね?なぜか?私には恩赦を与える権威などないからです。

イエスの時代のユダヤ人にとって、会堂は人々が神に出会うために出かけていく場所でした。赦しと罪のきよめを受けとりにいく場所でした。そこには祭司がいて、罪の赦しを得るための神へのささげ物があって、という風に、全般的な宗教制度が存在していました。イエスはこうした制度の外で罪を赦しました。

ですから、もちろん人々は疑問を持ったわけです。では、イエスがどのように応答したのかを見てみましょう(イエスが「人の子」と言う時、イエスは自分自身のことを話しています。)「しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るためにー。(中略)あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」(マルコの福音書2:10-11) 

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ここでイエスは、中風の男を癒すことによって、罪を赦す権威を持っていることを証明しました。その後、イエスは死から蘇ることによって、自身の持つ権威をさらに証明することになります。

イエスの死と復活を通して、イエスは会堂、罪の赦しのための供物、また祭司職に取って代わりました。イエスはこれらの全てになり、イエスを信じるものにはそれ以上になりました。これがキリスト教が他の宗教とは区別される点です。キリスト教はただの宗教ではないのです。

「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(聖書のローマ人への手紙6:23)罪が赦されて死から救われる、これが無料のプレゼントとして受け取れるとは、素晴らしいニュースだとは思いませんか?

ですが、疑問に思っていることでしょう。どうやってそのプレゼントを受け取れるのか?と。答えは信仰です。次回パート3では、このテーマについて取り上げます。